JPAニュース2021年3月15日号
2021年3月15日
高野 文夫 NPO日本プレゼンテーション協会理事長
【日本空手道の創始者船越義珍先生の唱える愛の武道】
空手の歴史を辿りますと、中国から沖縄に渡り、
そこで大きく成長・発展し、そして本土の日本に
伝えられました。
今の日本そして世界の空手は沖縄で育ち、
日本を拠点にして世界に広がっていったといっ
ても間違いではないでしょう。
100数十年前に、船越義珍という先生が一番最初
に沖縄から本土に持ち込まれたのです。
船越義珍先生の雅号が松涛(しょうとう)でした。
後の人達がその系譜を継ぐ流派を松涛流空手と
呼ぶようになりました。
私はその流派に属し、
かれこれ50年稽古を続けています。
大学時代の私の空手の先生、
広西元信先生から次の様なお話を
伺ったことがあります。
日本に初めて空手を紹介した船越先生は、
後に日本本土に空手術をもたらした空手家に
妬まれたそうです。
なぜなら、船越先生はその腕のすごさと、
高尚な人格から、多くの人達に受け入れられ
ていました。
柔道の講道館創設者の加納治五郎先生の強力な
後ろ盾もあって、大変有名になっていたのです。
たくさんの大学に空手部を創設し、
雑司が谷というところに松濤館という本部道場
も持っておられたのです。
その道場は大変な盛況ぶりだったといわれています。
そして、船越先生のあとを追って日本本土に空手を
もたらした空手家の中には大変に強い人が何人も
おられたそうです。
そのひとり、ある凄腕の空手家が何度も船越先生に
喧嘩を仕掛けたそうです。
あるとき、数名の弟子達と町を歩いていた時だった。
歩いている船越先生を挑発すべく、
旅館か料亭の二階から誰かが先生に向けて小便を
かけたそうです。
“ あいつを叩きのめしてやる!”と、同行していた
一番弟子が憤慨し、二階に駆け上がろうとする
ところを、しっかりと腕を掴み、体にかかった
小便を拭きながらこういって止めたというのです。
“○○君!これは小便ではないよ、雨だよ。
雨に違いない!”“晴天なのに夕立がきたなーぁ”
こうしてその場を離れたそうです。
そしてその後、冷静になった弟子達にこう言って
聞かせたそうです。
“彼らも空手で飯を食っているんだ。
あいつを叩きのめすことはできるかもしれない。”
“しかし、よく考えてみろ!
やつの後ろには妻も子供もいるのだよ、
やつの弟子達だって同じことだよ。”
“やつを叩きのめすということは、やつの帰り
を待っている妻や子供たちの飯の茶碗を
叩き落すのと同じことだよ。”
このように、相手が何かしらの行動を起こそう
としているときには、なぜその様な行動に
出ざるを得ないのかを考えてあげることが
必要なんだと諭したという。
このような敵対する相手のことを考えてあげる
愛情こそが、闘いを乗り越える英知、すなわち
愛の武道なのです。
キリスト教では、『汝(なんじ)の敵を愛せよ!』
と説いています。
『目には目を、歯には歯を!』の思想は、
闘争の繰り返しを生みます。
船越義珍先生は83歳まで長生きをされて、
死の直前まで稽古をされ天寿を全うしました。
そして、
その83年の人生で一度も『私闘:けんか』を
したことがなかったと言われています。
幕末の偉人で剣の達人だった勝海舟も、
生涯一度も剣を抜いて切り合いをしたことが
なかったと言われています。
伝統のある日本の空手には、このような哲学が
脈々と流れていますから、
紳士のたしなみとして、
日本のみならず世界の空手としてますます
広まってゆくのです。
強さやお金だけを追求する空手はいずれは
内紛を起し、自滅の道を辿るのです。
武道としての強さの原点には、
たとえ敵であっても愛するという気持ちが
なくてはならないのです。
繰り返しになりますが、愛の武道こそが最強なのです。