高野文夫の人間力大学2025年10月1日号

『高野文夫の人間力大学』

JPAホームページの理事長の常設コーナー(2025年10月1日号)

私は毎月2冊のペースで本を出版しています。9月にはNo.233&234冊目の本が出版されました。紙の本と電子本で出しましたが、ご興味をお持ちの方は紙の本は、値段が1,300円もして恐縮ですので、300円の電子本でお読みくだされば幸いです。

 私は高校から大学院を出るまで親の仕送りを一切受けなかった。なぜなら、我が伊豆大島の実家は都会に出ている子供に仕送りをする余裕がなかったのです。

それというのも、お父さんが、私が大学一年の時に 49 歳の若さで他界してしまっていたのです。心筋梗塞でした。

男の子 4 人を育てたお母さんが可愛そうなので、大学の頃からは、逆に実家に仕送りをしていました。

高校時代は、新聞屋に住み込み店員として入り、朝夕の配達と集金と勧誘で食べていました。

大学と大学院時代は、主な収入源は家庭教師でしたが、幸運なことに高校からずっと特別奨学金を付与されていました。

大学には寮があり、格別安い料金で住まわせてくれて、そして3食共に、私にとったら大変豪華な物を食べさせてくれたのです。

そして、国立大学には、1クラスに2-3名ですが、授業料を全額免除してくれる制度がありました。

但し、成績がクラスでトップから3-4番に入っていないとストップされる可能性がありました。

ですから一所懸命勉強をしたし、結局私は、授業料を払った事が無いのです。

私は、この日本国という国に心から感謝しています。

なぜならば、真面目に一生懸命勉強するものには、できる限りの援助の手が差し伸べられているからです。

日本の国民の大多数は、戦後の GHQ 下の文化的植民地政策が効を為してか、大変な自虐史観がはびこっています。

日本は何でもかんでもダメ、アメリカや中国や韓国の歴史観は正しいという、敗戦国史観です。

何処の国だって、正しい面もあれば間違った面もあるはずです。もちろん、過去の日本のアジアへの植民地政策には間違いがあったし、反省して二度と繰り返してはいけません。

しかし、近代史のみならず、武道の様な日本の伝統的な文化等を誉める者は、暴力的で右翼のバカ••、

それらを自虐的に腐すものが文化的で利口••、という図式は取っ払わねばなりません。

ところで、日教組が、自虐史観を浸透ならしめた最大の元凶だと言う人がいますが、私は必ずしもそうだとは思いません。

なぜならば、私が薫陶を受けた小•中学校、そして高校•大学の先生方のほぼ全員、

特に、小中学校の恩師の相原先生、川島先生、十文字先生らは、日教組のリーダーであり、

地元のみならず、社会や教育界に少なからず影響を与えているのです。

と言って••、私の恩師らが社会主義者や共産主義者かと言えばそうではないのです。

十文字先生などは、どちらかと言えば右翼的で戸塚ヨットスクールの校長、戸塚宏氏と似ています。

でも、懐が深いのです、覚悟を持って命懸けで教育道に身を挺しています。

自国を愛すれば愛するほど、その愛の気持ちは隣  国の中国や韓国や朝鮮の人達にも向けられる筈です。

私はそれが真の国粋主義者で、かつインターナショナルだと思っています。

そうなんです!自国を愛し、同等に他国をも愛するのです。

伊豆大島には、北朝鮮出身の方々が少なからずいました。もちろん今でもおりますが、韓国を含めてその方達の子供さんらを、在日と呼ぶのだと思います。

私が薫陶を受けた十文字先生や小学校の先生方は、彼らを全く差別することなく、どちらかというと、(家庭が貧乏な子供たちが多かったものですから)余分に可愛がっていたように思います。

幼少時から、そのような姿を見ていますから、私自身も中国人や韓国人、元朝鮮籍の方々を日本人以上に好きなんです。

一緒の部落で、海や山で稼いで、苦楽を共にして生きましたからね。

私は日本の次に好きな国は?と聞かれたら、即座にアメリカとこたえます。

仕事でアメリカには何度も行きましたが、そんなことより、伊豆大島の子供の頃の楽しい経験が刷り込まれているのです。

伊豆大島の波浮港の傍には、沖縄の様に大変大きな米軍基地がありました。

環太平洋に展開するアメリカ潜水艦隊のコントロール基地だったと言われています。

私は中学校で習った英語を試したい事と、拳銃をいじらせてもらいたい事、

そしてコカコーラやビスケットをタダでいくらでもくれるので、年がら年中その基地に遊びに行きました。

なぜか、アメリカ兵たちはポルノだけは隠して見せてくれなかった。

優しく可愛がってくれる米兵達がいて(多分本国に残してきている子供たちの事がしのばれて、代わりに私達大島の子供達が可愛かったのでしょう。)

今アメリカが大好きなのは、それが原点になっているのだと思います。

そして、我が第三中学校の運動会や島内マラソン大会には必ず、アメリカ軍基地のチームが加わりました。

放送席からは日本語に加えて英語放送も流されるのですが、その英語の流暢さには、子供心ながら『俺たちの英語の先生はかっこいいな-!』って思ったものです。

『俺たちが教えてもらっている英語は、口先ばかりではなく、実際にあんなに通用するんだ!若林先生はすっげーや!』って、教室では先生に尊敬のまなざしを向けたものです。

私は今、ネットライブで英悟の放送をしていますが、なんで私が英語を好きになったかは、まさに大島第三中学校時代に若林という英語の先生が、使える実践英語を目の前で披露して見せてくれたからです。

感動し、私自身の将来を変えてくれた、そう!正に感激を与えて下さったのです。

単なる感動のレベルを超えて、感激ですから、自ら動いて勉強するっきゃない!と思えたのです。

中学生にして、英語が喋れることのカッコ良さに目覚め、思いっきり勉強したものです。

そのお蔭で、高校や大学入試でも有利になったのみならず、外資系企業で誰よりも早く部長や海外をも統括する事業部長職に就けたのではないかと思っています。(外資系では何と言っても英語力なんです。平常の仕事も大切ですが、英語力が買われるのです。)

そして、先に書きましたが、私が薫陶を受けた先生方は、日教組の人が多かった。でも、イデオロギーに凝り固まった共産主義者かと言えばそうではないのです。

『社会を良くしたい主義者』であり、自民党であれ、民主党であれ、公明党であれ共産党であれ、なんでも好いのです。

私自身も一緒なんです。何党でも良いのです。

恵まれない弱い者も、出来る限り切り捨てずに一緒に抱えて走ってくれる懐の深い党や国、そして口先ばかりではない実行力のある、行動力のあるリーダーが好いリーダーなのです。それは陽明学で説く真骨頂『知行合一(ちごうごういつ)』ということです。

知っているだけでなく、知識を行動に移す、そして行動から学び、次のステップの知識を練り上げ、それを持ってさらに上を行く実行につなげてゆくのです。

それが人の成長というものでしょう。昔から、人の生き方で最も大切なのは、『仁、智、勇』と言われています。

私が薫陶を受けた先生方は、共通しています。

正に武士道の徳目『仁、智、勇』を体現する、覚悟を持って教壇に立つ古武士なのです。

ただ知っているだけの、知識の切り売り先生ではないのです。だから私は、大声で『僕のかっこいい先生!』と誇りを持って叫べるのです。

次回は2025年11月1日号でお会いしましょう。

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