JPAニュース2022年7月15日号

2022年7月15日

NPO日本プレゼンテーション協会理事長高野文夫

JPA理事長の2022年6月の新刊「残念な人のマトリックス」から(つづきの2)

1、残念な人のマトリックスなる本の表紙

2、孤独なリーダーを支えるもの  

 第一象限の「できる人」は正にリーダーと言える人です。リーダーは孤独になる時があります。

 リーダーには決断が求められますし、時には嘗ての部下だった者までもリストラして退職を言い渡さなければならない場合だってありますからね。

 日産自動社の大改革を、人の大削減や工場をそっくり切り捨てるという荒っぽいやり方で行い、

 着任二年にして会社を黒字にした、旧社長のカルロス・ゴーン氏も正に成功者の典型と言われましたが、彼とても孤独心に苛まれた時は何度もあったでしょう。

 いずれにしても、リーダーが決断する時は、その決断をするまでに相当迷うでしょう。

 相当勉強もするでしょうし、過去の経験を思い出したり、これまでのご自身の知識の蓄積に照らし合わせたり、

 色々な人に相談したり、コンサルタントに選択肢を作ってもらったり、可能性を探りに探って、悩みに悩んで最終結論を出すでしょう。

 その機会が多かれ少なかれ最終決断をするのがリーダーの仕事です。

 そのような時、何に頼ったら良いのでしょうか? 神様と言うか、サムシング・グレイトと言うか、座右の銘と言うか、そんなところにたどり着くと思います。

 そして最後のところは、一種の賭けでもするかのような心境になると思います。

 その決断の支えになってくれるものは、やはり、神とか仏とか、あるいはその人の人生観や死生観の様なものだと思います。

 人それぞれでしょうが、私がレポートした(外資系では仕えたと言わないでレポートしたという言い方をします)あるアメリカ系の会社の社長さんは、奥さんに決めてもらうと言っていました。

 いずれにしても、リーダー特に社長のようなトップリーダーは孤独との戦いになるのです。

 それが嫌ならリーダーにならなければ良いのです。

 人の上に立たない、一技術屋として専門職を選ぶのも決して悪くない選択と思います。

3、思いがその位置に人を導く

 色々な企業の新任社長がインタビューに答えて、大概が「自分では思っても見なかったが、運よく社長になれました」と殆どの日本人社長は答えます。

 これは日本の文化であって「私は心待ちにしていて一心不乱に社長の椅子を狙いました」と言ったら後の為にならないのです。

 着任後に皆の協力を得るための「枕詞」のような物だと思います。

 実は社長のイスをゲットできた人は、みんな口には出さないけれど、潜在意識で無意識的に「いつかは社長になってやるぞ」って思っていたに違いないです。

 意識しているからこそ、課長から部長になった時は、次は役員を目指そう!役員になったなら専務をそして社長を目指そうとなるのです。

 だからこそ、前に前にと努力を重ね、それがまた人間の能力を向上させて行くのです。

上のポストに着けば、人間力の陶冶にも成るし、そのポストの大きさの経験を積ませて貰えるのです。

 私は40代の頃、英国切っての化学会社(ICI後のゼネカ㈱)に引き抜きで入社したことがあります。

 それ以降の仕事部屋は個室ですし、世界を統括している英国の本社への出張の折りには、一泊4-5万円もする高級ホテルを取ってくれるし、往復のジェット便もビジネスかファーストクラスした。

 正確には覚えていませんが、ブリティッシュエアーウェイで片道48万円、往復にすると90万円もしたのです。(エコノミークラスは、片道10万円切っていたと思います。)

 私は48歳以降はシニアーマネージャーでしたから、土日でさも一生懸命に仕事や語学やコミュニケーションの勉強をしたものです。

 会社の待遇が良いですから、もっと、もっとと上昇志向で頑張れたのです。

 日本支社長になれなくても、ナンバーツーのポストを目指した事は事実です。

 最終的には会社合併に伴い、ポストを追われて、定年前に早期退職を余儀なくされましたが、今思うにそれはそれで良かったなって思っています。

 要は、頑張れば頑張るだけの報酬が貰える職場で、未来に夢を掲げて頑張れるかどうかなのです。

 どうあがいて陽の目を見れないような仕事や会社は、長居するべきではないと思いますね。自分の人生がもったいないからです。

それでは続きは8月15日にお話しましょう。

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