プレゼン最前線2022年3月15日号
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2022年3月15日
NPO 日本プレゼンテーション協会理事長
3月の新刊「絆(きずな):伊豆大島の大自然と素朴な島民から教わったともに支えあって生きるという事」からの抜粋
終章 きみまち坂(家族のきずなは永遠)
旅はいいものです。
人生の勉強になるし、心の洗濯にもなりますね。
数年前の初夏に、妻と東北3県の旅に出かけました。バスツアーでした。
岩手育ちと言われたバスガイドさんが、素朴な方言混じりの喋りで朗読して下さった、とても美しい詩に心が洗われました。
詩の題名;天国のあなたへ(きみまち坂)
娘を背に、日の丸の小旗を振って貴方を見送ってから、もう半世紀が過ぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんの束の間でした。
32歳で英霊となって、天国に行ってしまった貴方は、今どうしていますか?
私も宇宙船に乗って、貴方のおそばにゆきたい。
貴方は32歳の青年でした。私はいま傘寿(さんじゅ)を迎える年です。
おそばにいったとき、“お前はどこの人だ”なんて言わないでくださいね。
よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせてくださいね。
お逢いしたら、 娘夫婦の事、孫の事、また過ごし日のあれこれをお話し、思いっきり甘えてみたい。
貴方は優しく、“そうか、そうか”とうなづきながら、慰め、“よく頑張ったね”、とほめてくださいね。
そして、天国の「きみまち坂」に連れて行ってもらいたい。
春のあでやかな桜花、
夏のなまめかしい新緑、
秋の妖艶なもみじ、
冬のきよらかな雪模様、
など、など・・、
四季のうつろいの中を二人して手をつないで歩いてみたいのです。
私は、お別れしてからずっとずっと、貴方を思いつづけて・・・、愛情を支えにして生きてまいりました。
もう一度あなたの腕に抱かれて、眠りたいものです。力いっぱい抱きしめて、絶対に、絶対に離さないで下さいね。
(主人は昭和14年5月、中国山西省で戦死しました。
当時書けなかった思いの万分の一を書きました。
すっきりして若返ったよ…うです・・・。)・・柳原タケ秋田県、当時80歳
観光バスが秋田県の「きみまち坂」という絶景の峠にさしかかると、ガイドさんのこの朗読がありました。
その景色の美しさと、漂う何とも言えぬ寂しさに・・、隣に座っている妻の横で泣いてしまいました。
妻は、見て見ぬふりをしてくれました。きっと、妻も泣いていたのかな?
戦後生まれの私達には、わからない世界かも知れませんが・・、戦時中の夫婦の絆、そして、最愛なる主人を国に取られていった悲しみ・・。
この詩の作者は、全くの普通のおばあちゃんで、物書きでも詩人でもないらしい。
戦死して逝った夫を50年以上心で愛し続けているのです。
後で、そっとバスガイドさんに聞いてみました。柳原さんは、90歳を超え今でも立派に、しっかりと生きておられるのです。
90歳を超えたおばあちゃんが、まるで20歳の乙女と同じように、恋心を持ちつづけているのを知って驚愕したものです。
我が家のおばあちゃんは15年前の11月に89歳で他界しました。
最期の死に水を我が家の和室で、長男の雅史と一緒にとりました。
何時もにこにこして、孫の面倒をみてくれました。
今は天国のおじいちゃんと楽しく次の人生を楽しんでいると思います。
実は、我が家のおじいちゃんも戦争に行きました。
おばあちゃんは、生前に、時々こう言いました。
“まだ、おじいちゃんは、迎えに来てくれないよう!”
天国のおじいちゃんに逢いたかったのでしょう。
今では、おばあちゃん達の「きみまち坂」でデイトをしているのだろうと思います。
出来るだけのことをして、おばあちゃんを見送ってあげられてよかったと思っています。
実は、うちのおばあちゃんも、おじいちゃんと終戦と同時に異国から着の身着のままで日本に引き上げてきた人なのです・・。
そして、うちの妻を含めて4人もの子供をもうけたのです。
それではこの続きは、2022年4月15日号にてお話します。
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